ライフラインとしての道路
立命館大学理工学部 教授
伊津野 和行
先日、震災後一年を前にした新潟県を訪れた。2004年新潟県中越地震で大きな被害を受けた長岡市、十日町市、小千谷市をまわって災害復興の状況を見て回った。まだ各地で交通規制がされており、山古志は一般車が入れない状況であった。そこで改めて感じたのは、道路の持つライフラインとしての特性である。幸い阪神・淡路大震災で見られたような橋梁・高架橋の壊滅的な大被害はなかったものの、土砂崩れなどによって山古志村や川口町のいくつかの地区が孤立するなど、ライフラインとしての道路機能は大きな被害を受けた。今後の耐震補強計画を策定する上で、大きな教訓を残したといえよう。今の耐震設計では、道路橋の重要度を二種類に分けている。高速道路と同様の重要度に区分される橋として、「地域の防災計画上の位置づけや当該道路の利用状況等から特に重要な橋」とライフライン的な要素が多少は述べられているが、これで十分なのかどうか。橋以外の道路区間ではどうか。重要度に関しては議論が多いところであるが、ライフラインとしての道路という側面を十分に考えて、今後も検討を重ねていく必要があろう。
ライフラインは近代的な都市機能の問題ということが強調されてきたが、新潟県中越地震は山村でもライフラインが大問題になることを示した地震であった。途中で立ち寄った「国道291号災害復旧事業インフォメーションセンター」では、災害復旧状況のパネル説明の横に、そこを訪れた山古志の小学生からのメッセージもたくさん書き込まれていた。復旧工事に対する感謝の気持ちとともに、早く家に帰りたいという純粋な気持ちが書かれていて、心に迫るものばかりであった。最近読んだ「震度7 新潟県中越地震を忘れない(松岡達英、ポプラ社)」という子供向けの本にも、「道路さえ確保できればなんとかなる!」という孤立した場所で暮らす被災者の当時の気持ちが書かれていた。道路の不通は生活の不便だけではなく、災害時には人の命にも直結する。私たち何らかの形でライフライン工学に関わる者の責任は重い。小さな子供たちにつらい思いをさせないような国土にすることは、技術者に課せられた責務だと思う。
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